「日本政府には、チベットの宗教や文化を守りたい私たちの願いを橋渡しする仲介者になってほしい」。チベット動乱から60年となった3月、日本に帰化した亡命チベット人、西蔵ツワン氏は切実な思いを語った。
 西蔵氏は、インド・ダラムサラのチベット亡命政府が、将来のチベットを担う人材を育てるため日本に派遣した最初の留学生5人のうちの一人。1952年、ネパール国境に近い商業が盛んなチベットの都市、シガツェに生まれた。裕福な家庭で育ったが、59年3月のチベット動乱の際、貿易の仕事でインドにいた父が帰国できなくなり、母や妹と不安な日々を過ごした。

 小学校で「ダライ・ラマは国家分裂主義者」と教え込まれ、チベットの元貴族や高僧が人民裁判にかけられ、公開処刑で銃殺されるのを目撃した。「それを疑問に思わないほど洗脳されていた」と振り返る。

 父が突然、帰宅したのは62年。亡命目的と知らないまま、家族と一緒に「国境地帯の温泉で湯治する」つもりで家を出たのがネパール経由でインドへ向かう旅の始まりだった。難民キャンプの生活は貧しかったが、成績が優秀だった西蔵氏は65年、日本留学の機会に恵まれた。

 留学生5人で受け入れ先の埼玉県毛呂山町にある病院の宿舎で共同生活を送り、勉強に明け暮れた。やがて埼玉医科大に進学し、医師免許を取得。今は同県日高市にある武蔵台病院で院長を務めている。

仲間もそれぞれの道を歩んだ。最年少のダムデン・ギュルミー氏は同県嵐山町で開業医になった。日本体育大で柔道を修めたギュルミ・ワンダー氏はダライ・ラマ14世のボディーガードになり世界を歴訪した。大学卒業後にインドへ戻ったトプゲイ・ブティア氏は日本大使館の現地職員として日印交流に貢献した。リーダー格だったペマ・ギャルポ氏は拓殖大国際日本文化研究所教授になり、チベット問題の解決を訴える活動を続けている。

 ペマ氏の耳には、チベットの状況の悪化が伝わっている。〈学校の運動会でチベット語の放送がなくなった〉〈チベット仏教の僧院が取り壊された〉〈中国共産党が僧院を運営し、14世の代わりに習近平国家主席の写真を拝むよう指導している〉

 ペマ氏は、こうした同化政策の背景に、「政治的、経済的、軍事的に力をつけた中国のおごりがある」と分析。仏寺の取り壊しが進んだ文化大革命(1966〜76年)の時代に「時計の針が逆戻りしているようだ」と嘆いた。

 日本へ留学する若い世代のチベット人には中国籍を持つ者もいる。彼らを支援する阿部治平さんは「中国でチベット人が抑圧される構図が日本の大学に持ち込まれている」と指摘する。

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 2008年の北京五輪を前に、聖火が日本を訪れた際、中国の国旗を振ってランナーを応援するイベントが行われたが、実験のため参加できなかった理系のチベット人学生が嫌がらせを受けた。

 チベットの人権問題は世界中から関心を集めている。しかし、日本政府はこの問題から目をそらそうとしているのが現状だ。米英仏独など主要国の指導者は、中国からの抗議を受けながらもみな14世と面会したことがある。一方、14世はこれまで30回以上日本を訪れたにもかかわらず、首相との面会は一度も実現したことがない。

 「14世が健在なうちにチベットへ戻ることができるよう力を貸してほしい」。日本で暮らす亡命チベット人は約100人。思いは日本政府に届くだろうか。

2019.3.30 産経
https://www.sankei.com/world/news/190330/wor1903300001-n1.html