チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世(83)がチベットの中心地ラサを脱出して以来、毎年数千人が後を追うようにインドに亡命した。インド各地にチベット人社会が形成されたが、その環境は変化しつつある。故郷に帰るめどが立たない中、60年が経過して世代交代も進む。「故郷には戻りたいが、中国には帰りたくない」。難民たちには無力感も漂う。
 「3月のまだ寒い日だった。ノルブリンカを出発したことが昨日のことのように思い出せる」

 チベット亡命政府があるインド北部ダラムサラで、チベット難民のタシ・ツェリンさん(82)は60年前の出来事を振り返った。ツェリンさんは1959年3月、ダライ・ラマがラサ近郊の離宮ノルブリンカを離れてインドに脱出した際、護衛として付き従った。

 脱出時、ダライ・ラマは中国人民解放軍から身を隠すため一般兵士に変装していた。悪天候が続く中、周囲を鼓舞するためにツェリンさんらにつねに声をかけ続けたという。「靴は底が外れてぼろぼろになり、ほとんど裸足で歩いた。あの道程はチベット人の苦しい歩みの始まりだったのかもしれない」とツェリンさんは振り返る。

チベットに兄弟がいるが会いたくはない。彼らが中国政府の職員として働いたことを知ったためだ。「チベットを裏切ったんだ。生涯会う気にはなれない。私の人生はインドにある。私はここで幸せに死ぬだろう」。分断された家族に抱く複雑な心境からは中国への怒りが透けてみえた。

 ツェリンさんのようなチベット難民は現在約10万人がインドで生活する。既に孫やひ孫の世代も誕生しており、チベットを知らないチベット人は確実に増加している。ニューデリーのチベット人居住地域で暮らすサンポさん(20)は「自分は積極的にチベットに帰りたいと思わない」と話す。今は電気技師として働くが、将来的には米国への留学を希望する。「中国が憎いことに親世代も私も変わりはない。だが、それよりはインドで生活を安定させ、前を向いて進みたい」と“新世代”の心境を代弁した。

 亡命も減少しつつある。年間3千人近かったチベットからの流入は年間数十人程度に減少。中国による国境警備の強化や、亡命ルートだったネパールが中国の顔色をうかがうようになり、通過が困難となったことも大きい。

 一方、難民を受け入れるインド政府の対応にも変化が見える。昨年2月には公務員らに対し、チベット亡命政府関連行事への出席を自粛するよう通達した。亡命政府は難民受け入れに感謝する催しを企画していた。インド政府が関係修復を目指す中国に配慮した−という観測が流れた。

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 難民2世の1人、テンジンさん(40)は「インドに見捨てられたらどうしようもない」とコメント。「祖国であるチベットに帰りたいが中国には戻りたくない。何もできないのが現状だ」と吐露した。

 高齢のダライ・ラマは、後継問題が取り沙汰される。チベット仏教の指導者は死後に転生すると信じられているが、14世は近年、自らが生前に後継を指名する意向を明らかにしている。死後の転生という伝統からは反するが、中国政府が自らの息の掛かった“次のダライ・ラマ”を選び出すことへの警戒心がある。

 亡命政府は10月3日から世界のチベット仏教の高僧や学者を集め、「ダライ・ラマとチベットの今後」について話し合う会議を開催する。将来的に2人のダライ・ラマが並立する可能性がある中、亡命政府のロブサン・センゲ首相は「そうなってもチベット人は誰も中国が選んだダライ・ラマを尊敬しない」と断言した上で、こう付け加えた。

 「この60年はチベット人にとって苦難の時代だった。だが私たちは弱くはない。ダライ・ラマとともにあり、中国には屈さない」

2019.3.29 産経
https://www.sankei.com/world/news/190329/wor1903290002-n1.html