中国で最も政治的に敏感な地域は新疆ウイグル自治区であり、チベット自治区である。宗教・少数民族問題が複雑に絡み合い、治安も不安定だ。中でも最近、イスラム教徒が「再教育施設」に大量収容されている新疆では緊張が高まり、厳戒態勢が敷かれているという。その深奥部、カシュガルを訪れた。
◇
「あちらに外宣弁の方々がお待ちです」
カシュガルの高級ホテルでチェックアウトを済ませると、フロントの男性従業員にそう告げられた。ロビーのソファには5人の職員が陣取って、こちらを凝視している。
外宣弁−。対外宣伝弁公室の略称で、外国メディアの取材の便宜を図るのも彼らの役目の一つだ。要するに記者の取材に同行しチェックする仕事である。しかし今回、私から取材日時を連絡した覚えはない。
「何をするためにカシュガルに来ましたか」「今日のスケジュールは」「いつカシュガルを出ますか」
矢継ぎ早に質問をした後、「そうですか、カシュガルを知りたいのですね。それではご案内します」
半ば強引に連れて行かれた先は、「老城」と呼ばれる少数民族・ウイグル族の居住区。昨年、整備が完了し、観光地化された場所だという。
ウイグル族の女性ガイド(29)が待っていた。
カシュガルは北京から直線距離で約3400キロ。中国の西のはずれに位置しキルギスとの国境に近い。人口約465万人でウイグル族が92%(漢族は6%)を占める。
カシュガル近郊にも「再教育施設」が存在すると伝えられていた。
□ □
老城で目についたのは、真っ赤な中国国旗と監視カメラの多さだ。国旗はほぼ全ての家屋で翻っている。監視カメラは多い所で数十メートルごとに設置されていた。
向こうから木の棒を持った中年の女性4人が歩いてきた。同行の外宣弁職員が説明する。
「ここでは住民たちが自警団を組織し、率先して警備に当たっているのです」
町並みはきれいに整えられ、その建築様式から西域のエキゾチックな雰囲気を醸し出している。どこを写真に撮っても絵にはなるだろう。しかし何か違和感を覚えるのは、においがないからだろうか。人々の生活臭が感じられないのである。そして妙に静かだ。
ベンチに座る婦人がいた。「福を授かるには正直でなければならない」。壁にはそんな標語がウイグル族の言語、ウイグル語と中国語で記されている。その前で物憂げな表情を浮かべる婦人。写真を撮るや否や職員が飛んできた。
「消去してください!」
路地に入ると、さっきの自警団のおばさんたちがいた。警備をするどころか井戸端会議をしている。こちらは倦怠(けんたい)感のようなものが漂っていた。
□ □
老城には中国最大のモスク(イスラム教礼拝所)があった。入り口の上に「愛党愛国」の幕が掲げられている。中国共産党の指導によるものだ。
カメラを向けると、外宣弁職員が「ちょっと待ってくれ」という。慌ててモスクに走っていった。
「ひょっとして幕を取り外すつもりなのか」と思って見ていると、入り口で警備に当たっていた制服姿の治安要員2人をモスクの奥に隠した。モスクを厳戒態勢下に置いているのは不都合な事実なのだろう。
つまりこの老城は、イスラム教徒であるウイグル族のショーケースということだ。明るく自由な街、そして幸せに暮らす住民たちを演出しなければならない。
しかし、現実はどうか。
老城やバザール(市場)を歩いていて気付いたことがある。イスラム教徒に多いあごひげを蓄えた男性が全くいなかった。
路上での職務質問や商店、レストランに入る際の検査も、明らかにウイグル族など少数民族の身なりをした住民を選別し厳しく行っていた。中国人・外国人観光客ら外部の人間が厳重なチェックを受けているところは見かけなかった。
中国政府は昨年4月に脱過激化条例を施行し、「正常でないひげ」を蓄えることや、顔などを覆う「ブルカ」の着用を「過激主義の影響を受けた行為」として禁止。今年2月には改正宗教事務条例を施行するなど、宗教への規制強化を進めている最中なのである。
□ □
老城の通りで数十人の中国人観光客に出くわした。
外務省によると、今年1〜7月に新疆ウイグル自治区を訪れた観光客は延べ7833万人で、4割近い伸びを示しているという。そしてこう強調するのだ。
「新疆が安全でなければこれほどの観光客が訪れるだろうか。現在、新疆の社会は安定し、経済発展し、各民族は調和して共存し、宗教と信仰の自由を享受している」(外務省報道官)
住民はどう思っているのだろう。ウイグル族の男性はこう話す。
「この2年で監視態勢がどんどん厳しくなっている。気持ちが悪くなるほどだ」「だれも再教育施設になんか行きたくない。周りには新疆を離れたがっている人間が一杯いるよ…」
その日、老城などを回り、まるで護送されるようにしてカシュガルの空港に着いたのは午後5時すぎ。意外にも外宣弁の職員らは出発ロビーの建物には入ってこなかった。そのまま車で空港を出ていった。
(ようやく解放された。できれば××を取材しておきたい。まだ日が暮れるまでに時間はある)
2時間後のフライトをキャンセルし、荷物を預けて人目に付かないように空港の外に出た。大通りでタクシーをつかまえようとしたそのとき、後ろから黒シャツ姿の男2人が見張っているのが分かった。
(昨日の連中だ)
万事休す−。空港施設に引き返すほかなかった。
□ □
異変に気付いたのは、前日の夜8時すぎ。予約しておいたホテルのフロントで「予約確認の書類が届いていません」「あいにく本日、他の部屋も空いていません」と言われたときだ。
その従業員に、外国人が宿泊できる別のホテルを紹介してもらう。タクシーで向かう途中、ナンバープレートのないバンに追尾されているのが分かった。
2つ目のホテルでも宿泊を断られた。
3つ目のホテルでは、従業員にパスポートを渡し、宿泊手続きをしている最中にフロントの電話が鳴った。受話器を置いた従業員は「申し訳ありません。外国人は泊まれません…」
私の行く先々のホテルに当局が連絡を入れ、「宿泊させるな」と命じているのは間違いないようだった。
一計を案じた。時間は午後10時を回り、外は真っ暗だ。ホテルを出たらこれまでのようにタクシーには乗らずに夜道を歩き、車が通れない脇道にさっと入って尾行車両をまこう−。
だが、ホテル前の通りに出てはみたものの、一本道で脇道がなかった。振り向くと、車から降りたのか、黒シャツの男たちが慌てて追いかけてくる。
結局、その後、旅館やサウナでも断られ、ようやく横になれたのはカラオケボックスの中。午前1時を回っていた。閉店の4時まで仮眠できると思ってうとうとしていると、制服を着た警官3人に踏み込まれた。
「ここは寝る場所ではない」「もっと良いところを紹介してやる」
留置場のことかと思ったが、連行された先は高級ホテルだった。あまりに高額だったので「高すぎて泊まれない」と警官に不平を言ってみたら、安くなった。
宿泊料を支払った後、へとへとになった体を引きずるように部屋に向かうと、3人の警官が前を遮った。「ちょっと話がある」
薄暗いロビーで、少数民族出身とみられる年長の警官が念を押した。
「治安施設を写真に撮ってはならない。撮れば面倒なことになるぞ」
□ □
昨年、新疆ウイグル自治区の区都ウルムチやトルファンなどを取材で訪れたが、尾行はされても、ホテルの宿泊まで妨害されるようなことはなかった。
当局がここまで神経をとがらせている背景には、国連人種差別撤廃委員会で8月、「ウイグル族などイスラム教徒が新疆ウイグル自治区の再教育施設に大量に収容されている」と報告された問題がある。
「収容者は100万人を超すとの見方もある」と懸念を表明する同委員会に対し、中国政府は「捏造(ねつぞう)だ」と否定する。ならば、自由な取材を認めればよさそうなものなのに、現状は全く逆なのだ。
その執拗(しつよう)なまでの妨害工作は、記者たちに見られたくない、取材されたくないモノの存在をうかがわせるのに十分である。
2018.10.3 産経
https://www.sankei.com/world/news/181003/wor1810030002-n4.html
「あちらに外宣弁の方々がお待ちです」
カシュガルの高級ホテルでチェックアウトを済ませると、フロントの男性従業員にそう告げられた。ロビーのソファには5人の職員が陣取って、こちらを凝視している。
外宣弁−。対外宣伝弁公室の略称で、外国メディアの取材の便宜を図るのも彼らの役目の一つだ。要するに記者の取材に同行しチェックする仕事である。しかし今回、私から取材日時を連絡した覚えはない。
「何をするためにカシュガルに来ましたか」「今日のスケジュールは」「いつカシュガルを出ますか」
矢継ぎ早に質問をした後、「そうですか、カシュガルを知りたいのですね。それではご案内します」
半ば強引に連れて行かれた先は、「老城」と呼ばれる少数民族・ウイグル族の居住区。昨年、整備が完了し、観光地化された場所だという。
ウイグル族の女性ガイド(29)が待っていた。
カシュガルは北京から直線距離で約3400キロ。中国の西のはずれに位置しキルギスとの国境に近い。人口約465万人でウイグル族が92%(漢族は6%)を占める。
カシュガル近郊にも「再教育施設」が存在すると伝えられていた。
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老城で目についたのは、真っ赤な中国国旗と監視カメラの多さだ。国旗はほぼ全ての家屋で翻っている。監視カメラは多い所で数十メートルごとに設置されていた。
向こうから木の棒を持った中年の女性4人が歩いてきた。同行の外宣弁職員が説明する。
「ここでは住民たちが自警団を組織し、率先して警備に当たっているのです」
町並みはきれいに整えられ、その建築様式から西域のエキゾチックな雰囲気を醸し出している。どこを写真に撮っても絵にはなるだろう。しかし何か違和感を覚えるのは、においがないからだろうか。人々の生活臭が感じられないのである。そして妙に静かだ。
ベンチに座る婦人がいた。「福を授かるには正直でなければならない」。壁にはそんな標語がウイグル族の言語、ウイグル語と中国語で記されている。その前で物憂げな表情を浮かべる婦人。写真を撮るや否や職員が飛んできた。
「消去してください!」
路地に入ると、さっきの自警団のおばさんたちがいた。警備をするどころか井戸端会議をしている。こちらは倦怠(けんたい)感のようなものが漂っていた。
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老城には中国最大のモスク(イスラム教礼拝所)があった。入り口の上に「愛党愛国」の幕が掲げられている。中国共産党の指導によるものだ。
カメラを向けると、外宣弁職員が「ちょっと待ってくれ」という。慌ててモスクに走っていった。
「ひょっとして幕を取り外すつもりなのか」と思って見ていると、入り口で警備に当たっていた制服姿の治安要員2人をモスクの奥に隠した。モスクを厳戒態勢下に置いているのは不都合な事実なのだろう。
つまりこの老城は、イスラム教徒であるウイグル族のショーケースということだ。明るく自由な街、そして幸せに暮らす住民たちを演出しなければならない。
しかし、現実はどうか。
老城やバザール(市場)を歩いていて気付いたことがある。イスラム教徒に多いあごひげを蓄えた男性が全くいなかった。
路上での職務質問や商店、レストランに入る際の検査も、明らかにウイグル族など少数民族の身なりをした住民を選別し厳しく行っていた。中国人・外国人観光客ら外部の人間が厳重なチェックを受けているところは見かけなかった。
中国政府は昨年4月に脱過激化条例を施行し、「正常でないひげ」を蓄えることや、顔などを覆う「ブルカ」の着用を「過激主義の影響を受けた行為」として禁止。今年2月には改正宗教事務条例を施行するなど、宗教への規制強化を進めている最中なのである。
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老城の通りで数十人の中国人観光客に出くわした。
外務省によると、今年1〜7月に新疆ウイグル自治区を訪れた観光客は延べ7833万人で、4割近い伸びを示しているという。そしてこう強調するのだ。
「新疆が安全でなければこれほどの観光客が訪れるだろうか。現在、新疆の社会は安定し、経済発展し、各民族は調和して共存し、宗教と信仰の自由を享受している」(外務省報道官)
住民はどう思っているのだろう。ウイグル族の男性はこう話す。
「この2年で監視態勢がどんどん厳しくなっている。気持ちが悪くなるほどだ」「だれも再教育施設になんか行きたくない。周りには新疆を離れたがっている人間が一杯いるよ…」
その日、老城などを回り、まるで護送されるようにしてカシュガルの空港に着いたのは午後5時すぎ。意外にも外宣弁の職員らは出発ロビーの建物には入ってこなかった。そのまま車で空港を出ていった。
(ようやく解放された。できれば××を取材しておきたい。まだ日が暮れるまでに時間はある)
2時間後のフライトをキャンセルし、荷物を預けて人目に付かないように空港の外に出た。大通りでタクシーをつかまえようとしたそのとき、後ろから黒シャツ姿の男2人が見張っているのが分かった。
(昨日の連中だ)
万事休す−。空港施設に引き返すほかなかった。
□ □
異変に気付いたのは、前日の夜8時すぎ。予約しておいたホテルのフロントで「予約確認の書類が届いていません」「あいにく本日、他の部屋も空いていません」と言われたときだ。
その従業員に、外国人が宿泊できる別のホテルを紹介してもらう。タクシーで向かう途中、ナンバープレートのないバンに追尾されているのが分かった。
2つ目のホテルでも宿泊を断られた。
3つ目のホテルでは、従業員にパスポートを渡し、宿泊手続きをしている最中にフロントの電話が鳴った。受話器を置いた従業員は「申し訳ありません。外国人は泊まれません…」
私の行く先々のホテルに当局が連絡を入れ、「宿泊させるな」と命じているのは間違いないようだった。
一計を案じた。時間は午後10時を回り、外は真っ暗だ。ホテルを出たらこれまでのようにタクシーには乗らずに夜道を歩き、車が通れない脇道にさっと入って尾行車両をまこう−。
だが、ホテル前の通りに出てはみたものの、一本道で脇道がなかった。振り向くと、車から降りたのか、黒シャツの男たちが慌てて追いかけてくる。
結局、その後、旅館やサウナでも断られ、ようやく横になれたのはカラオケボックスの中。午前1時を回っていた。閉店の4時まで仮眠できると思ってうとうとしていると、制服を着た警官3人に踏み込まれた。
「ここは寝る場所ではない」「もっと良いところを紹介してやる」
留置場のことかと思ったが、連行された先は高級ホテルだった。あまりに高額だったので「高すぎて泊まれない」と警官に不平を言ってみたら、安くなった。
宿泊料を支払った後、へとへとになった体を引きずるように部屋に向かうと、3人の警官が前を遮った。「ちょっと話がある」
薄暗いロビーで、少数民族出身とみられる年長の警官が念を押した。
「治安施設を写真に撮ってはならない。撮れば面倒なことになるぞ」
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昨年、新疆ウイグル自治区の区都ウルムチやトルファンなどを取材で訪れたが、尾行はされても、ホテルの宿泊まで妨害されるようなことはなかった。
当局がここまで神経をとがらせている背景には、国連人種差別撤廃委員会で8月、「ウイグル族などイスラム教徒が新疆ウイグル自治区の再教育施設に大量に収容されている」と報告された問題がある。
「収容者は100万人を超すとの見方もある」と懸念を表明する同委員会に対し、中国政府は「捏造(ねつぞう)だ」と否定する。ならば、自由な取材を認めればよさそうなものなのに、現状は全く逆なのだ。
その執拗(しつよう)なまでの妨害工作は、記者たちに見られたくない、取材されたくないモノの存在をうかがわせるのに十分である。
2018.10.3 産経
https://www.sankei.com/world/news/181003/wor1810030002-n4.html