中国チベット自治区の関係者で構成された中国政府派遣の「中国チベット文化交流団」がこのほど来日し、国会議員やメディア関係者らと相次いで「交流」した。記者団との懇談会で、交流団側は自治区の経済発展の状況や現地で宗教・文化がいかに保護されているかを力説したが、人権問題に触れることなく、中国政府の立場の代弁に終始した。チベット問題に関心を寄せる保守系議員や専門家は、今秋に予定されているダライ・ラマ14世の訪日を前にした「中国政府の対日宣伝工作だ」とみている。
 「2007年に3000元(約4万9000円)に満たなかった遊牧民の年収は、昨年1万元を超えました」

 「チベット自治区のGDP(域内総生産)は11年から15年までの間、平均15%増に達しました」 

 交流団の団長を務めた中国チベット学研究センター宗教研究所の周●(=火へんに「偉」のつくり)所長は8月21日、在日本中国大使館で約20人の在京日中メディアの記者にチベット経済の発展ぶりを紹介した。

 交流団のメンバーは、チベット自治区政府の関係者やチベット医学の研究者、中国政府が認可したチベット仏教の活仏を含む6人で、中国国営新華社通信によると、中国の政府の広報を担う中国国務院新聞弁公室が派遣した。

 中国政府は2000年以降、沿海部に比べて経済発展が遅れていた内陸部の開発を国家プロジェクトとして展開している。チベット自治区は06年、区都・ラサと青海省西寧を結ぶ鉄道が開通し、ラサにある世界遺産の「ポタラ宮」の周辺でも開発が進んだ。

 紹介された経済指標は「バラ色」の経済発展を想像させる。だが、意外にも中国中央電視台(CCTV)記者が疑問を投げかけた。

 「7回チベットに行ったことがあるが、GDPがこれだけ速く伸びることで一つ懸念がある。ラサに旅行しても『まるで四川のようだ』という人がいる。こうした状況を防ぐための具体的な方策は?」

 開発政策の影で、チベットらしさが失われていることへの批判的な含意のある質問が、中国官製メディアの記者から飛び出したのは何とも皮肉的だった

 ただ、国際社会のチベットへの関心は、主に人権状況やチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の動向にある。

 チベット自治区では北京オリンピック開催を控えた08年3月、中国政府の宗教弾圧に抗議する人々による大規模な反中国デモが起きた。09年2月以降、宗教や文化の自由への弾圧に抗議して焼身自殺した僧侶らは149人に上るとされる。

 チベット自治区における宗教の保護に関し、交流団は「現在、チベットの域内には寺院が1876カ所あります。4・6万人の僧侶がいて、中には400人の活仏も含まれています。これだけの寺院、活仏を含めた僧侶が存在しており、320万人余りのチベット族のニーズを十分に満たしています」と説明した。

 筆者が以前、チベット族の若者から「昔はどこの家庭にも一人は僧侶がいたが、今は僧侶の総数が規制されている。ダライ・ラマ14世の写真や肖像は掲げることはおろか、所持も禁じられている」と聞いたときには、宗教の自由はないと感じたが、物は言いようということか。

 ところで、今年82歳を迎えたダライ・ラマ14世は最近、後継選びに関し、先代の没後に生まれ変わりを探す「輪廻転生制度」の伝統に基づかず、自らの生前に決める方式に改める考えを示唆した。

 これを踏まえて、筆者が後継選びについて質問したところ、周所長はこう回答した。

 「ダライ・ラマというと、14世を指すことがあるかもしれないが、多くは1世から14世までの全体を言う。チベットの人々はダライ・ラマに強い信仰心を持っている。転生は14世個人の問題ではない」

 「転生は必ず歴史的なルールにのっとって金瓶掣籤(きんべいせいせん)を通じて政府の許可をもらうという段取りを踏んで15世を決めなければいけない」

 周所長が言及した「金瓶掣籤」は、清の乾隆帝が定めたチベットに関する29条の布告の中に含まれていたダライ・ラマらの転生者を選ぶくじ引きの方法だ。

 ただ、ダライ・ラマ14世の公式サイトによれば、この方法で選ばれたダライ・ラマは実質的には11世の1人に過ぎない。この方法がどこまで伝統的といえるだろうか。

 そこで後継者選びと交流団側の主張について、チベット出身(05年に日本に帰化)で、ダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当初代代表を務めたペマ・ギャルポ拓殖大教授に意見を求めた。

 「そもそも当時の清朝の皇帝自身がチベット仏教徒だった。歴代のダライ・ラマ法王と清朝の時代はお寺の檀家の関係があった」

 ペマ教授は「金瓶掣籤」ができた当時と現代の事情は根本的に異なることを説明した上で、後継者選びについてこう指摘した。

 「ダライ・ラマ法王はダライ・ラマ法王の生まれ変わりであって、ダライ・ラマの意識が転生するわけですから、法王の意思を無視して生まれ変わりはありえない」

 「これはチベット人の信仰の問題だし、法王がそうおっしゃれば、皆、納得がいくと思う。でも、北京政府の押しつけに納得がいくという人はいないと思う」

 さらに、ペマ教授は、中国側が一方的宣伝を海外で展開しているとして警鐘を鳴らした。

 「中国は非常にご都合主義で、解釈を勝手に変え、少しの事実の中から歪曲をして別の事実をつくる。領土にしても、自分たちの力が及ぶと思ったら、ある日突然、何百、何千年前の歴史を持ち出してくる」

 「中国政府が、海外でチベット専門家といわれる人たちやチベットの僧侶の口を借りて、宣伝を始めている」

 ダライ・ラマ14世はここ数年、秋ごろに来日し、永田町で講演するのが恒例化しつつある。昨年は11月16日に衆院第1議員会館で講演し、「私は決して中国からのチベット独立を求めるものではありません。われわれチベット人が中国の枠内にとどまることは双方にとって利益となるでしょう」と語った。今年も11月に来日が予定されている。

 交流団の来日に先立つ今年6月には、中国全国人民代表大会(全人代)のチベット自治区代表団が来日し、超党派の日中友好議員連盟(会長・高村正彦自民党副総裁)の事務局長を務める自民党の林芳正・現文部科学相らと会談した。このとき代表団はダライ・ラマ14世を「チベットの現実を歪曲している」と批判したという。

 代表団に続く交流団の来日について、チベットの現状への理解と支援を目的とする「日本チベット国会議員連盟」の中心メンバーは「ダライ・ラマ14世の来日を牽制するための対日世論工作だろう」とみている。

 交流団は今回、国会内で超党派の若手国会議員でつくる日中次世代交流委員会(会長・遠山清彦衆院議員=公明党)のメンバーを表敬した。新華社は、参加した公明党議員がこんな感想を語ったと報じていた。

 「チベット文化交流団との交流を通じて、中国のチベットへの“親近感”が増した」

 さすがに「社交辞令」を述べただけで、よもや交流団に感化されたわけではあるまい。国会議員であれ、メディアであれ、中国政府派遣のチベット関係者の主張を無批判に受け入れてはいけない。懇談会参加の成果は、こうした教訓を得られたことだった。