各国へのインフラ投資や企業の海外進出など、世界にその存在感を見せつけている中国ですが、トラブルも絶えないようです。メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』では、著者で台湾出身の評論家・黄さんが先日ラオスで起きた中国人襲撃事件を取り上げ、なぜ中国の行く先々で反中感情が高まりを見せるのか、歴史を引きながら解説しています。
【中国】アジアの親日国はなぜ必ず中国を憎むのか
● ラオスで中国人襲撃事件 高まる反中感情

ここ数年、世界を舞台にした習近平のバラマキ外交、インチキなインフラの押し売り合戦が繰り広げられ、各国の反発が高まっていました。そのことについては、本メルマガでも紹介してきました。

● 中国による「インフラ投資」のインチキに気づいた各国から非難の声

そしていま、中国人に対する感情が非常に悪化しているのがラオスです。中国資本の乱開発や地元民の強制労働により、反発が高まっているのです。冒頭の記事では2015年以降、中国人を狙ったと思われる襲撃事件が続発していることを論じています。記事の一部を引用します。

2015年2月にはラオス北部の中国資本が入ったバナナ農園で有害物質が入った農薬を使用していたことが原因で労働者の農民に深刻な健康被害がでたほか、土壌汚染も進んでいることが明らかになった。さらにこの農園ではライフル銃などで武装した中国人がラオス人農民を安価な賃金で強制的に働かせていたことも判明、ラオス政府が事態調査に乗り出し農薬禁止を決めた。ラオスの法律では外国人は武器を所持できないことになっており、労働者の人権侵害も問題化した。

また、ダム建設や高速鉄道建設などのインフラ建設で、中国本土から大量の労働者が送り込まれ、付近にできる中国料理店など全てが中国人で、地元の雇用創出や経済波及効果にはほとんど繋がっていないというのも、中国のいつものやり方です。

今年の6月には、ラオスのサイソンブン県で中国人が襲撃されて、1人が死亡しています。

●【ラオス】強引な中国の環境破壊から恨みが爆発、新たな中国人襲撃計画で注意喚起

ラオスの最大の経済支援国は日本です。そのためラオスは台湾とならんで、伝統的な親日国でもあります。ラオスの親日については、外務省のホームページにもわざわざ書かれています。

● ラオスという国「日ラオス外交関係樹立60周年」

しかし、近年は中国が金銭外交を重ねてきており、存在感が高まっていました。それでも、やはりやり方は中国流で、地元民から嫌われる結果にしかなっていません。いくらカネを積んでも、日本のやり方とは異なるのです。

しかし、こうした手口は今に始まったことではありません。習近平政権による個人的な手法では決してないのです。私はよく、こうした中国のやり方を「中国の伝統文化」だと言っていますが、まさに中国の歴史のなかではこうしたことが繰り返されてきました。今は、それが世界に輸出されたことで、世界の人々が知ることになっているだけなのです。

台湾を統治していた中国国民党も同様でした。そして、それ以前に台湾を統治していた日本のやり方は、中国流とは全く対照的なものでした。日本と中国がどれだけ違うのか、かつての台湾を例に詳しくご紹介しましょう。

台湾が日本に永久割譲された2年後、日本帝国議会では江藤新作代議士(江藤新平の次男)によって、100万人台湾移民と原住民との同化案が提出されました。児玉源太郎はこの提案を、反乱平定が未決であり理蕃問題は山積しているとの理由で拒んでいます。とはいうものの、すでに民間移民は、東台湾開発に意欲を燃やした事業家たちにより行われていました。

佐久間第五代総督の代になると、東台湾開拓の一環として官営移民が行われました。官営移民で有名なのは吉野村の開拓です。農業を専業とし、台湾に骨を埋める決意がある品行方正な移住希望の家族を、九州、四国、中国、さらには群馬や福島などから、妻子同伴を条件に募集したのです。

漢人の台湾移住がオランダ時代に平埔族から土地を略奪したことから始まり、鄭成功時代には軍隊による略奪や原住民虐殺による村つぶしがエスカレート、その後の清時代に山禁海禁を敷いたにもかかわらず、漢人移民は相変わらず原住民の土地に侵入して彼らとの対立が続いていたのに比べて、日本からの新移民たちは、漢族の土地略奪や騙取とは違った方法で台湾に入り込んでいきました。

日本も抵抗を続けていた山岳民族は武力で征服したものの、その一方では「理蕃」事業として「蕃人」を近代国民国家の一員として育てようとしたのです。しかも日本人は、近代資本主義の原理にのっとり、開拓する土地は買収して手に入れました。日本領台時代には原住民も新住民も台湾総督府の手厚い保護のもとにあったのです。ここが、近代国民国家の法治社会と前近代的な社会の相違点です。

また台湾人は、自分の生まれ育った土地を大事にし、樹木や森林を愛する精神も日本人から学びました。台湾の自然史は250万年、そして4回の氷河期によって形成されました。3,000メートル以上の高山が、200以上もあるため、地形が複雑多様で、熱、温、寒の三帯にわたる植物帯を持っています。全島の大きさは九州程度の小さな島ですが、植物は4,000種も原生しています。このような多様な地形と自然から、多様な文化や言語を持つ民族がつくられていきました。

日本領台以前は、新田開拓や森林伐採のほか、すべての燃料は木炭にたよっていたため、材木の需要が高かったのです。そして、伐採しやすい平地から森林は消え、生態は変化していきました。平地の森林がなくなってしまっても、現住民地区の森林へは手を出せなかったため、台湾の農村や市街の建物には、竹材や土で固められた住宅が増えていきました。

木材供給は、中国大陸から「福州杉」の輸入によって補っていましたが、それでも足りず、レンガ造りの家も木材欠乏のためにあまり建築できませんでした。

台湾がそんな状態に陥っていた100年前、自然を愛する日本人がこの島に入ってきました。日本人は海岸から高山まで徹底的に探測し、ヒマラヤ山系にしか生えない高山植物を数多く発見しました。たとえば、「児玉総督」と命名された名花は「ネパール籟簫」「にいたかうすゆきそう」「台湾杉」などです。日本人は台湾の動植物、天然資源を科学的に記録し、発表、応用、教育して、台湾人に自然と文化の象徴を愛する心を教えてくれました。

もちろん、日本時代においても台湾森林の伐採があったことは確かです。たとえば、阿里山、太平山、八仙山の森林伐採は台湾総督府の財政に大きく貢献しました。しかし、それは漢人移民のような濫伐や盗伐ではありませんでした。専門家による林野調査のうえ、所有権を確立し、保安材を決めて計画的な伐採と造林が行われたのです。それだけではありません。小学生に至るまで、森林環境保護の教育を行い、森林保護の優良入選論文集まで出版するという徹底ぶりでした。台湾人は、この森林保護思想を明治時代から日本によって植え付けられました。

台湾総督府は、明治39年より、保安林確保のために造林事業を奨励し、毎年100万本余りの苗木を無償配布した上に、保証金を交付して造林に努めました。保護林の調査が進められ、流砂防止林、水源涵養林、風致林、防風林、潮害防備林、墜石防止林、水害防備林などの造林を続けたのです。その造林目標面積は13万余甲でした。

日本領台時代は、綿密な計画の上で台湾国土保護、改造総合計画の一環として、清国時代に濫伐荒廃した台湾の山河の保護と、治山治水が推進されました。台湾総督府の造林事業は、保安林の造林だけでなく、すでに明治33年には樟樹造林が始められていました。さらに、熱帯樹造林、特殊樹造林、林産物払い下げ跡地の造林、阿里山および同鉄道沿線の整備、太平山と八仙山の伐採跡地の造林などを、国土保全事業として遂行したのです。こうして林野事業は日本の努力によって定着していき、原始の大自然が保護されたのでした。

その後台湾を統治した中国国民党は、日本がここまでして保護してきた自然をいとも簡単に破壊し尽くしました。現在、ラオスで中国がやっていることと同じです。現地の原住民を追いやり、有害な農薬で土壌汚染を促進させ、自然を破壊して得た利益は中国人のみが享受する。今も昔もやり方は全く変わりません。こんなことを繰り返していれば、世界各地でラオスのような反中運動が連鎖的に起こり、中国は自滅の道を歩むこととなるでしょう。

中国人排除を最も声高に叫んでいるのはベトナムです。台湾ではそれを「排華運動」と呼んでいますが、ベトナムでは漢字の看板を掲げるだけで中国人だと認識され、デモ隊に襲撃されてしまいます。

中国企業の海外進出は、表向きは多国籍化や外国企業の「買収」などと伝えられていますが、その実態は中国企業の中国脱出です。中国経済は悪化の一途を辿り、環境汚染もとどまる所を知りません。そうした中国からカネとヒトが流出していることを、媚中メディアは海外進出として持ち上げているわけです。

台湾メディアは、この現象を明治期の「脱亜入欧」をもじって「脱華入欧」「脱中入欧」などと伝えています。その一例として、中国の大富豪の一人である大連万達グループの王健林董事長は、財産の80%の処分を完了させており、「脱華入欧」の準備を着実にしています。そのため、中国では万達グループの資産が行き詰まっているとの報道もあります。

● 大連万達、資産売却1兆円 当局主導の信用調査に対応

21世紀の「チャイナドリーム」は、遥か2,000年前と変わらず、いかにして中国から逃げるか、ということのようです。

2017年7月27日
http://news.livedoor.com/article/detail/13391332/