チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世が16日午後、「グローバル世界における日本・チベット」と題して国会内で講演した。詳報は以下の通り。



 私は決して中国からのチベット独立を求めるものではありません。われわれチベット人が中国の枠内にとどまることは双方にとって利益となるでしょう。
 私は2011年、政治的な責任者の立場から完に引退しました。ダライ・ラマがチベットの政治、宗教の両面で指導者を兼ねるという4世紀にわたる伝統に終止符を打ったことになります。ただし、プライドをもって、喜んで、幸せに、引退することができたと考えています。

 81歳を迎えました。残りの人生を過ごすにあたり3つの使命を自分に課しています。1つは、より幸せな世界にしていくために世の中の一人一人が責任を担う、その認識を広めていくことです。近代教育を通して、思いやりと優しさという人間の資質を世界の人々とともに高めていきたい。

 第2の使命は仏教の僧侶としてです。インドにはさまざまに異なった宗教があり、お互いに調和をとって共存してきました。異なる宗教観の調和を図るという意味で、インドをよき模範とします。

 第3は、一人のチベット人として、チベットが古代から受け継いだ文化遺産や仏教を継承していきたいと考えています。

人間は、内なる心の価値として、慈悲の心、他者に対する優しさと思いやりの心を持ちます。この心が芽生えるには、裏表のない人間で正直であることが大切です。これからの世界を担っていく若者は、知識のレベルにとどまらず、必ず内なる心の価値、他者への思いやりというものを忘れてはならないでほしい。また、政治家も裏表をない態度で活動をするならより多くの人から信頼を得るでしょう。

 中国は30、40年前に比べ大きく変化しています。中国人は勤勉的な人々です。現実的になろうと努力をされて、市場を大切にし、経済を復興させようという政策に出た。現在、習近平国家主席は汚職をなくそうとしています。軍事関係者だけではなく、一般民においても、きれいな社会を作ろうとの努力を考えているようです。

 中国は今まで閉ざされた社会で、習氏はそれを変えようとしたわけでしょう。言論の自由、報道の自由が求められるなか、自分たちで、汚職問題はハンドル(対処)できると考えた。どのような方向に向かうかは分からないが、困難に直面しようという勇気はたたえるべきものです。

 ただ、どのような国であってもその国は人民たちのものでなければなりません。政府というものは常に移り変わっていくものですが、人民たちは常にそこで暮らしていかないといけないからです。中国は13億人の民衆のものです。すべての民衆が、中国政府のなしていることを知る権利を持っている。現状のように検閲を続けては中国政府が瓦解(がかい)する原因になります。

 チベットと中国は民族的にも文化的にも違います。ですから中国人には、チベット文化を学び、また、それを維持することが大切だと理解してもらいたい。だが、中国は中国語を使えるチベット人を仕事の面で優遇し、チベット語から遠ざけようとしています。習氏が本当にまとまりのある国家を目指すならば、そのうたい文句は心の底から来なければならない。

 「調和のある社会」は信頼関係に基づかないと築けない。そこに住む人に恐怖感を植え付けては不可能だ。中国はインドにも同じ共産主義国であるベトナムにも、常に疑いの目を向けている。

 全体的にみれば中国は変わりました。(中国人は)必ずやこの世界に対しても大きな貢献ができる民族だと私は思います。ただ、現在の政治システムを維持する限り不可能でしょう。私たちに必要なのは信頼関係だ。世界は自由と民主主義が生かされねばならない。かつてソ連は暴力ではなく民衆の希望によって変わりました。中国でもそのようになるのではないでしょうか。

 1954〜55年、北京滞在中に毛沢東と会ったことがあります。「チベットには自分自身の国旗がありますか」と聞かれ、「あります」と答えると「あなた方はその国旗を私たちの赤い旗の隣にいつも維持するべきである」と言われました。

 現在、欧州や米国などで、私たちの国旗を持ってチベット人の立場にたって抗議活動をする人に“反抗議”をする中国人も増えています。そういった人に毛沢東の「国旗はぜひ維持するべきだ」との言葉を伝えたいですね。

産経 2016.11.16
http://www.sankei.com/politics/news/161116/plt1611160036-n1.html