4月に大地震が襲ったネパールで、困窮した被災者家族が「ケア施設で預かる」「働きながら勉強できる」などと言われ、子供が連れ去られる事案が多発している。警察当局などは、工場や売春宿などへの人身売買が目的とみている。25日で発生から3カ月を迎え、都市部は落ち着きを取り戻しているが、山間部では支援頼みの暮らしが続く。政府や支援団体は、子供らが地震をきっかけとした「2次被害」に巻き込まれる可能性が高いとして警戒する。
 「子供たちに勉強をさせてあげたい」−−。中部シンドゥパルチョーク地区メラムチの施設に保護されているソモ・タマンさん(13)によると、地震から約1カ月後のある朝、同地区マハンカル村の自宅を突然、中国人の男女5人とネパール人の男が訪ねてきた。

 タマンさんの自宅は地震で倒壊し、母(45)が死亡。父は既に亡く、自分と祖母(85)、10歳と7歳の弟が残された。がれきから食料を取り出すこともできず、近所の人に食べ物を分けてもらう生活だった。

 中国人らは笑顔で何度も頭をなでてくれ、市場で服やおもちゃを買ってくれた。「学校に行きたい」。祖母に尋ねると「大丈夫だから行ってきなさい」。約2時間後、2人の弟を連れて中国人の車に乗り込んだ。ネパール人の男が「あと5人子供が必要だ」と話しているのが聞こえたが、気にしなかった。

 首都カトマンズに滞在後、自宅から約160キロ離れた西部ポカラの宿へ連れて行かれた。食事は十分与えられたが、学校には通わせてくれない。「書類がそろわず入学できない」と説明され、事実上の軟禁状態に置かれた。祖母との連絡手段はなく、弟は「村に帰る」と泣いた。

 警察が踏み込んだのは、ポカラに着いてから約2週間後の6月11日。「外国人が子供を連れている」との情報を受け、3人を保護した。支援団体に引き渡されたタマンさんは「外国に売られる子もいると後から知った。今思うと怖かった」と振り返る。

 裏付けが取れず、中国人らは事情聴取だけで釈放された。だが、児童福祉の政府関係者は「親以外が子供を連れて移動するための正式な書類を所持しておらず、人身売買が疑われるケースだ。連れ去り役の中国人もだまされていたのかもしれない」と話す。国連児童基金は、寄付金集め目的の施設に子供が送られたケースもあるとして、注意を喚起。主要道に行政と検問所を設置し不審者を通報している。

 地元警察などによると、シンドゥパルチョーク地区では地震後、少なくとも子供51人が人身売買の疑いで保護された。また、首都を含むカトマンズ盆地で救出された子供は2014年8月までの1年間で9人だったが、地震後の3カ月は52人に上った。タマンさんらの救出に関わったNGO「CWIN」のサーガル・バンダリさん(34)は「ブローカーは『子供だけでも安全な場所に行かせたい』という親心につけ込んでいる。被災地での被害はさらに増えるだろう」と危惧する。

毎日 2015年7月25日
http://mainichi.jp/shimen/news/20150725ddm001030252000c.html