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 日本を含む国際社会で2013年以降、ウイグルに関連するニュースが急増している。習近平国家主席が同年3月に就任し、中国政府がウイグル人への弾圧を強化し、それに反発するウイグル人の抵抗が激しくなっているからである。数多くの犠牲者も出ている。

 世界的な人権活動家で、亡命ウイグル人組織「世界ウイグル会議」のラビア・カーディル総裁は「ウイグル人への弾圧は『人権侵害』といったレベルではない。1つの民族の存亡がかかっている」「『歴史上最も厳しい弾圧』と言っても過言ではない」と訴えてい  る。
 ウイグル人は、中国・新疆ウイグル自治区に居住するトルコ系ムスリム(イスラム教徒)である。ウイグルとは紀元3世紀からの自称で、ウイグル語で「団結」「連合」を意味する。自治区の面積は日本の約4倍もあり、人口約2000万の半分がウイグル人だ。

 現代ウイグル人は、太古から、自治区内にあるタリム盆地のオアシスに定住して農業を営んできた人々と、紀元前4、5世紀ごろから、中国とロシア国境にある天山山脈周辺の草原地帯から南下してきたトルコ系遊牧民が混血した民族の末裔(まつえい)である。

 自治区内には多くの仏教遺跡が残っている。インドで始まった仏教が紀元1世紀以降に広がり、高度な仏教文明が花開いていたからだ。西遊記のモデルである玄奘(げんじょう)三蔵法師もウイグルを通ってインドに向かった。仏教は古代シルクロードに沿って、東方の中国や朝鮮半島、日本へと伝わった。紀元5世紀から文字を持ち、8世紀からウイグル文字が使われた。

 ウイグル人がイスラム教を受け入れたのは10世紀初め。タリム盆地周辺から中央アジアの一部を支配下に置くカラハン王朝がイスラム教を国教にしてからだ。


中国の王朝時代、ウイグル人は中国やモンゴル遊牧民族の圧力を受けながらも、独立と従属を繰り返していた。1944年には「東トルキスタン共和国」を樹立したが、中国共産党が49年に政権を握ってからは中国に併合され、55年に新疆ウイグル自治区という名称になった。

 中国政府は、ウイグル人に「自治権」を与えたはずだが、実際は名ばかりの「自治区」だった。ウイグル語の使用や、宗教の自由などへの厳しい制限が科せられ、漢民族の大量移住が進められている。最大都市ウルムチでは、人口の約8割が漢民族になったという。

 政治や経済、教育、外交、軍事など、あらゆる手段を使って、ウイグル人は追い込まれている。漢民族に比べて、さまざまな差別と不利益を受けている。3等市民、4等市民、あるいは人間以下の扱いを受けている。ウイグル人はまるで刑務所の中で、この世の地獄で生きている。

 ■トゥール ムハメット 農学博士。ウイグル人権活動家。1963年、ウイグル生まれ。85年、中国農業大学卒。99年、九州大学大学院博士課程修了。新疆農業大学講師、九州大学外国人研究員など歴任し、2000年から民間会社勤務。13年、国際ウイグル人権民主財団日本全権代表、15年、世界ウイグル会議日本・東アジア全権代表。月刊誌『WiLL』などに、ウイグル問題で寄稿。

2015.05.08 夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150508/frn1505081140001-n1.htm