中国国営の中国新聞社は10日付で、ネパール国内の「チベット村」で暮らす人々を紹介した。「ダライ・ラマ14世のグループとともに、あるいは脅されてネパールに移った」と紹介したが、現地のチベット人が仕事に励む様子などを紹介し、「悲惨さの強調」などの政治的意図はあまり感じられない。

  記事によると、ネパール第2の都市のポカラ市周辺には、中国のチベットおよびその他のチベット民族から人々が住む「チベット村」が4カ所ある。
  住民である「チベット族同胞」の多くは、工芸品や装飾品を作って売り、一部の若者はガイドなどをして暮らしている。中国国外に住む「チベット族同胞」の人口は20万人近くとされる。

  記事は、「チベットの元地方当局と上層集団が1959年に武装反乱を起こして失敗した後、一部のチベット族民衆はダライ14世集団に従い、あるいは脅されてネパールやインドなどに移った」と紹介した。

  写真は8日に撮影。チベット人の女性数人が糸をつむいでいる。別の写真では、チベット人女性が伝統食であるツァンパを碗に入れ、記者に向って勧める様子を紹介した。

  中国では、「チベットではダライ・ラマの前近代的で残虐な統治のため、民衆はとことん苦しめられていた」と宣伝されることが一般的だ。しかし、同記事は「ダライ・ラマと歩んだチベット人の悲惨さ」をことさらに強調したりはしていない。豊かとは言えないが、落ち着いて充実した暮らしをしているように見える。

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◆解説◆
  現在のダライ・ラマ14世は、1933年の13世死去に伴い35年に即位。1949年の中華人民共和国成立後も当初は、中国の支配に対して妥協的で、毛沢東の「西蔵(チベット)平和的解放の方法に関する取り決め」にも同意したとされる。

  しかし、中国中央政府は急進的な社会主義化政策をチベット人居住地にも適用し、僧院の所有地没収などに着手。1956年にはカム、アムド地域(現在のチベット自治区東部、青海省南東部、四川省西部・雲南省北西部)で武装反乱が勃発。中国政府はチベット地域に人民解放軍を増派。1959年にはラサでも大規模な武力衝突が発生。ダライ・ラマ14世はインドに亡命した。

サーチナ 2013/07/11
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