県内で暮らす中国残留邦人の日常生活などを紹介する初めての写真展が、高知市九反田の市文化プラザかるぽーとで開かれている。家族と生き別れ、中国人として過ごさざるをえなくなり、念願の帰国後は言葉が壁となって立ちはだかる。日中両国で“異邦人”となる運命を強いられた23人を通して、今も続く戦争の悲劇を約50点の写真とパネルで伝えている。(畑矢今日子)
 帰国者への聞き取りなどを行っている佐々木美鶴さん(21)ら高知大の4年生3人のグループ「EMIRY(エミリー)」が、卒業を控えた集大成にと企画。ともに調査を続ける非常勤講師(中国語)の玉置啓子さん(68)らの取材を交えて展示内容を構成した。

 日頃の暮らしぶりは、玉置さんの知人で高知市在住の写真家中島健蔵さん(52)が撮影した。中国の調度品に囲まれた自宅で家族と笑ったり、背筋を伸ばして日本語の参考書と向き合ったり。玉置さんに日本語を教わる1枚には、祖国での再出発を誓う決意がみなぎっている。

 戦前と考えられるセピア色の家族写真には、「この姉は病死、兄は戦死」と記され、身近な人の命を奪う戦争の現実を生々しく物語る。また、中国人養父母との集合写真なども並ぶ。

 パネルには、侵攻するソ連軍から逃れる途中に家族が相次いで死亡し、「難民収容所から捨てられる母の亡骸(なきがら)を追いかけたくても衰弱で追えなかった」女性らの、終戦前後の凄惨(せいさん)な体験がつづられている。

 別の女性は「1人だった私を現地の少女が救ってくれ、少女の母に『命ある限り育てる』と迎えられた」と証言。もう1人の女性は帰国しても日本語が不自由だったため、「就職先でからかわれ、人の失敗を押しつけられても言い返せなかった」と打ち明ける。

 1945年12月に中国で生まれた鈴木英子さん(66)は30歳を過ぎるまで、養父からも日本人だと知らされず、幼い頃に「小日本」とさげすまれても意味がわからなかったという。「日本がどんな国か全然わからなかった」が、90年に家族とともに永住帰国を果たし、「今は幸せです」と笑う。

 「EMIRY」代表の佐々木さんは3年前の夏、講演会で残留邦人の体験談を聞き、「後世に残さなければならない」と決意、友人2人と活動を始めた。「『伝えてくれてありがとう』という言葉を励みに続けてきた。何十年と苦しんで来た人がいることを、少しでも多くの人に知ってもらえたら」と話している。

 7月1日まで。午前10時〜午後6時(最終日は午後4時まで)。入場無料。1日午後1時半から、残留邦人だった高橋公子さんの講演会を開く。

2012年6月28日 読売新聞
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