2010年10月29日、中国共産党機関紙・人民日報系の国際情報紙「環球時報」は、中国人民大学国際関係学院の[羽/隹] 東昇(ジャイ・ドンション)副教授の寄稿「過剰な被害者意識は国の復興を妨げる」を掲載した。以下はその概略。

中国が外患に直面し始めたのは1840年頃から。「文明の中心」のはずだった中華帝国が欧州の“野蛮”な国々に後れを取っていることに気付いたのだ。焦った一部の精鋭が1860年、西洋の近代的な軍事技術の導入により国力増強を図るという「洋務運動」を起こしたが、1895年の日清戦争敗戦で失敗に終わった。

失敗の原因は王朝の体質を変えずに近代技術だけを取り入れようとしたことだと考えた変法派が、今度は政治制度の改革を求めた「戊戌(ぼじゅつ)の変法」を起こす。結局は短命に終わったものの、危機感と変革への情熱は衰えず、ついに辛亥革命の勃発となった。だが、清朝崩壊の原因は中国文明の根っこが腐っていたためだとした急進派が「革命の対象は政権ではなく文化だ」と主張、これが1919年の五四運動へと発展した。

1949年、中国に共産党政権が誕生する。土地・階級・文字を含むすべてを改質し、文化を作り直そうと試みたが、いつまた敵に襲われるかもしれないという強迫観念は50年代に入っても消えない。そして60年代、念願だった「伝統文化の初期化」をついに実行した。当時、米ソという2つの強敵に挟まれ、危機感が最高潮に達していたことは単なる偶然ではない。

結局、中国に安心感をもたらしたのは原爆、弾道ミサイル、人工衛星だった。今の中国は最も成功した大国と言って良いだろう。多くの国民は「我々の制度は完全ではないが、技術さえ近代化すれば台頭できる」と考えるようになった。奇しくもそれは150年前の洋務運動が掲げた「富国強兵」と重なる。

だが、今の中国は当時と違い、国が滅ぼされるという危機感も焦燥感もない。それなのに、100年前の国辱が植え付けた「被害者意識」だけは根強く残っている。「ひどいことをされた」―植民地支配を受けたことがある国はみな同じように考えるだろう。だが、台頭する大国として列強と心穏やかに肩を並べるには相応しくない。

もちろん、度を越さない程度に危機感を持ち、前進し続けることは必要なことだ。エネルギーの強さは志の高い民族である証拠。「危機感→反応→行動」―こうしたエネルギーと緊張もコントロール可能で理性的な範囲で維持されるのであれば構わない。命は水の流れに逆らって行く船の如し。進まなければ後退してしまうものだから。(翻訳・編集/NN)

レコードチャイナ 2010-10-30
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